手のひらの魔法

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夫婦とスキンシップ

人生の最期に立ち会う家族のドキュメンタリーを見た。


お別れの間際、手を握ったり、ほっぺをなでたりしている。

わたしも、ばあちゃんや世話になった叔父さんとの別れは
冷たいほっぺを触った。

ふと、思ったことがある。
肌に触れるって、もしかしてとても大切なことなんじゃないだろうかって。

子どもの頃、母はいつもわたしを撫でて膝に乗せて抱っこしてもらった。
たぶん、中学生くらいまでは朝起きたらまずは母に抱きつくことが「おはよう」の
儀式だった。

姪っ子が産まれた。かわいくて触らずにいられない。

夫とは結婚しても朝からナデナデして、チューして、ギュッと抱きしめてから出勤。

わたしは愛しているものは、触らずにはいられないようだ。

あたりまえだけど、会社の仲間の手をいきなりにぎったりはしない。
アカの他人に触れたいとは思わない。

どうしてそんなに仲良しなんですか?と聞かれることがある。


趣味や性格が合うから・・・といえばそれまでなんだけど、
もしかして、「触れ合う」に鍵があるのでは?

ちょっと話はズレるけど、友人夫婦のハナシ。


3年付き合って、その後順調に結婚し、中古の一軒家を自分好みに
リノベーションして、夫婦ふたりで暮らしている。

結婚して5年経った今、全く会話がないと言うのだった。


「だってさ、話すことなくない?趣味も違うしさ。
 この前、ごはん食べてる時にお笑い系のYouTube見てるから
 うるさいから観るなら部屋で見てって言ったらすっごい怒っちゃってさ」

仕事が終わったら、1階と2階に分かれて好きな時間を過ごしているらしく
「ほとんど話さないから、やばい気がしてきたんだよ」と彼女は言っていた。

話さないと、距離ができる。距離ができると、触れたい気持ちにならない。


それとも、触れたいと思わなくなって、距離ができて話さなくなる?

わたしは毎日毎日、夫のほっぺを撫でたり、体臭を嗅いだり、
どこかしら必ず夫に触れている。
夫も、わたしを撫でたりギュッと抱きしめたりしてくれる。
わたしは神経科学者でも、研究者でもなんでもないから
難しいことはわからないけどさ
そのことで、何か、言葉で表せないものを渡し合っている気がするんだ。

なんで、好きになったらくちびるとくちびるをくっつけるんだろうって
昔っから思ってるし今も謎だけど、毎日くっつけている。


くっつけると、絶対なんらかのものを渡し合っている。
言葉で表すなら「信頼」や「愛情」なんだけど、
言葉で表せない、なにかを交換している気がする。

じゃあ、今からギュッと抱き合って、ちゅーしましょって
そんな簡単じゃないこともわかる。

会話がなくても、触れ合わなくても
暮らしは続く。続けられる。


ただ、人生いつか終わる。いつかはわからない。


その最期の別れのときにそっと手を握ったり、ほっぺを撫でたりするんじゃないだろうか。
なにか思うことがあるんじゃないだろうか。




だから、思うの。
最期に手を握るなら、最期にほっぺを撫でるなら

わたしはいま、撫でたい。


健康で一緒に暮らしてる、いま手を握ろうって。

いまはいましかないよ。

だからわたしは今日も夫のほっぺを両手で包む。
昨日も包んだし、明日も包むよ。

もし人生の最期、その人の手を握っているのかも…
と、少しでも想像つくなら、今手を取り合おう。

わたしは最期の日、夫にとって「いつもの安心するぬくもり」でありたい。

(*´︶`*)ノ”したっけね!

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • “ わたしは最期の日、夫にとって「いつもの安心するぬくもり」でありたい。”
    共感するし、よくまとめられた一文で拍手です💕
    わたしは結婚してないけど、自分の愛してる人にとってそう言う存在でいたいといつも思ってます☺️

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