部屋に心の状態は表れる

こんばんは!
木曜あたりに部屋がめちゃくちゃになりがちな
ぬんぬんです。

目次

心地よい状態を自分で作ること

お化粧がイイ感じにキマッたり
髪の毛がツヤツヤにセットできたり
温かいお風呂に入って一息つけたり
お部屋が綺麗に片付いていたり


自分自身をキレイにして
自分が在るところをキレイにすると

心がスッとして、心地よい

そうすると、自分が心地よいから
自分にも他人にも優しくできたりする

心に余白ができる感じ

心の余白って、とても大切ですね
ちょいちょい余白、失くしてます(主に仕事で)
もしその状態をパッとポスターなんかにしたら
余白なしのガチャガチャのぎゅうぎゅうでうるさそうです…

さてそんなガチャぎゅうのいろんなもんをくっつけて
帰ってきて、さらに部屋がぐちゃぐちゃなんてことは
オトナふたりしか住んでないはずなのに、あるんだな我が家は・・・

そんなときは「あああぁあああああ!!」とか言って
はちゃめちゃに片付け始めたりします(オット帰宅前)

部屋片付けのいいところは
やれば「ゼロ地点」に戻れるところですね

いったん、ぎゅうぎゅうだった自分をもとに戻そう
余白を作ろう

汚い部屋で飲むコーヒーと
キレイに片付いた部屋で飲むコーヒーとでは
おいしさが違いますよね


コーヒー自体は同じはずなのに
味わっている自分の心が違うんですね
好きな人と一緒に食べるゴハンがより美味しく感じるように

心地よさって、そういう味わう余白がある状態から生まれるんじゃないかなあ

他人と比べない

さて、環境と心はリンクしているとわかってきたので
自分の聖域(=おうち)はなるべく雑然としないことを心がけるようになりました
心がけであって、ダメな日はあっさり諦めることもありますが…小声

外で余白を失ってもすぐに復活できるわたしですが、
いちにち単位ではなく、もっと長い目で余白を維持するために
かなり重要なのではと思うことがあります

それは他人と比べないことです

わたしはこれといって取り柄も稼ぎもない、ごく普通の40歳ですが
心の中で誇りに思っていることがあります

わたしはわたしを疑わないことです

2歳児が「あれ?ぼく、まだ、あーうーしか言えないのヤバい?」
などと思わないのと一緒です

人より優れているか、または劣っているか
そう考えるのは、自分と相手と比べているから

たとえば、美人な人がいて自分はなんでこんなにブスなんだ・・・と
自分より優位な人をみて落ち込む

自分よりブスな人がいて、あの人よりはマシだと思う

これは、ベクトルは違っても「比べる」ということにおいては
同じことなんじゃないかなと思うんです

優位な方と比べ自分を卑下するのは自分に失礼だし
劣位な方と比べ相手を卑下するのは相手に失礼です


今あるものに目を向けず
ないもの探しをしている…

手に入らない苦しさで心に余白ができない

上も下もない、わたしはここに在るだけです
良いところも悪いところもあります
自分を認めています

おなかは生まれてこのかた、ペタンコになったことなんかないし
太ももの隙間はないし
二の腕なんぞは30cmもあるし




それを持っている人とわたしを比べるだけでは
手に入るものはないんです

二の腕を22cmにしたいなら
自分との戦いですよね

戦いに破れて30cmでもそれもわたしなので
今もアリだけどね!


なりたい自分がいるなら、なるように努力する
でも、できない自分を卑下しない
できない自分も、受け止めてあげないと
誰も受け止めてくれなくて気の毒じゃないですか
自分が。

素敵な人がいると、心から素敵だと思うし
ひがんだり、妬んだりすることもないのです


自分を疑わなければ、他人の素敵なところも
素直に受け取ることができます
人のしあわせを喜ぶことができるって
わたしにとってもしあわせです


階段のいちだん上にいる素敵なひとを
わたしもそういうふうになりたいなって
上を向く

わたしにとっては、そういう気持ちを持てる心の余白が
長い人生においてとても大切なのです

したっけね!(*´︶`*)ノ”

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